大岩3区 暗誦の会テキスト
<本文>
吾輩は猫である 夏目漱石
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて
いたことだけは記憶している。吾輩はここで初めて人間というものを見た。しかもあとで聞くと、
それは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々
我々を捕らえて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考えもなかったから
別段恐ろしいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だか
フワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ち着いて書生の顔を見たのが
いわゆる人間というものの見始めであろう。この時妙なものだと思った感じが今でも
残っている。第一毛で装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬罐だ。その後猫にも
だいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出くわしたことがない。のみならず顔の真中が
あまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。どうも咽せぼくて
実に弱った。是が人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。
<読み方>
わがはいはねこである なつめそうせき
わがはいはねこはである。なまえはまだない。
どこでうまれたかとんとがつかぬ。でもいじめじめしたところでニャーニャーないて
いたことだけはきおくしている。わがはいはここではじめてにんげんというものをみた。しかもあとできくと、
それはしょせいというにんげんじゅうでいちばんどうあくなしゅぞくであったそうだ。このしょせいというのはときどき
われわれをとらえてにてくうというはなしである。しかしそのとうじはなんというかんがえもなかったから
べつだんおそろしいともおもわなかった。ただかれのてのひらにのせられてスーともちあげられたときなんだか
フワフワしたかんじがあったばかりである。てのひらのうえですこしおちついてしょせいのかおをみたのが
いわゆるにんげんとうもののみはじめであろう。このときみょうなものだとおもったかんじがいまでも
のこっている。第一毛で装飾されべきはずのかおがつるつるしてまるでやかんだ。そのごねこにも
だいぶあったがこんなかたわにはいちどもでくわしたことがない。のみならずかおのまんなが
あまりにとっきしている。そうしてそのあなのなかからときどきぷうぷうとけむりをふく。どうもむせぼくて
じつにうよわった。これがにんげんののむたばこというものであることはようやくこのごろしった。
(552字)