暗誦の会テキスト
〈現代文〉
蜘蛛の糸 芥川龍之介
ある日のことでございます。おしゃかさまは、極楽のはすの池のほとりを一人でぶらぶら
お歩きになっていました。池に咲いているはすの花はみんな玉のように真っ白で、真ん中の
金色の部分からは、なんともいえないよい香りがあたりにあふれておりました。
極楽はちょうど朝なのです。
やがておしゃかさまは池をめぐる道の途中で立ち止まり、水の面を覆っているはすの葉の
間から下の様子をじっとごらんになりました。極楽のはす池の下は、ちょうど地獄の底になり、、
水晶のような水を通して三途の河や針の山の様子がよく見えるのです。
その地獄の底にカンダタという一人の男が、他の罪人とともにうごめいている姿がおしゃかさま
の目に入ったのでございます。この男は、盗みはもとより、殺人や放火など悪業の限りを
つくしたのですが、たったひとつ、よいことをしたことがあるのです。あるとき、この男が深い林の中
を歩いていると、小さな蜘蛛が、道端を動いておりました。カンダタは、足で踏み殺そうとみそうと
しましたが、「いや、いや、こんな小さな生物でも一生懸命生きているんだ。むやみにその命を
取るのはかわいそうだ」と思いして、その蜘蛛を助けてやったのです。
おしゃかさまはカンダタの様子をごらんになり、彼がこの蜘蛛を助けてやったことを思い出されました。
たったそれだけでもよいことをしたのだから、できることならこの男を地獄から救い出してやろうと
お考えになりました。幸いすぐそばのひすい色のはすの葉で、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀の糸を
紡いでおります。おしゃかさまはその糸をそっと手にお取りになり、花の間からはるか地獄の底へ
まっすぐ、静かにお下ろしになりました。
<読み方>
あるひのことでございます。おしゃかさまは、ごくらくのはすのいけのほとりをひとりでぶらぶら
おあるきになっていました。いけにさいているはすのはなみんなたまのようにまっしろ、まんなかの
こんじきの部分からは、なんともいえないよいかおりがあたりにあふれておりました。
ごくらくはちょうどあさなのです。
やがておしゃかさまはいけをめぐるみちのとちゅうでたちどまり、みずのおもてをおおっているはすのはの
あいだからしたのようすをじっとごらんになりました。ごくらくのはすいけのしたは、ちょうどじごくのそこになり、、
すいしょうのようなみずをとおしてさんずのかわやはりのやまのようすがよくみえるのです。
そのじごくのそこにカンダタというひとりのおとこが、ほかのざいにんとともにうごめいているすがたがおしゃかさま
のめにはいったのでございます。このおとこは、ぬすみはもとより、さつじんやほうかなどあくごうのかぎりを
つくしたのですが、たったひとつ、よいことをしたことがあるのです。あるとき、このおとこがふかいはやしのなか
をあるいていると、ちいさなくもが、みちばたをうごいておりました。カンダタは、あしでふみころそうと
しましたが、「いや、いや、こんなちいさないきものでもいっしょうけんめいいきているんだ。むやみにそのいのちを
とるのはかわいそうだ」とおもいなおして、そのくもをたすてやったのです。
おしゃかさまはカンダタのようすをごらんになり、かれがこのくもをたすけてやったことをおもいだされました。
たったそれだけでもよいことをしたのだから、できることならこのおとこをじごくからすくいだしてやろうと
おかんがえになりました。さいわいすぐそばの、ひすいいろのはすのはで、ごくらくのくもがいっぴき、うつくしいぎんのいとを
つむいでおります。おしゃかさまはそのいとをそっとてにおとりになり、はなのあいだからはるかじごくのそこへ
まっすぐ、しずかにおおろしになりました。
芥川龍之介
ある日ののことである。一人の下人が、の下でやみを待っていた。
広い門の下には、この男のにはもいない。、所々りのげた、大きなに、が一匹とまっている。が、にある以上は、この男の外にも、やみをするやが、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のにはもいない。
かというと、この二三年、京都には、とかとか火事とかとかいういがつづいてった。そこでのさびれ方はりではない。によると、やをいて、そのがついたり、のがついたりした木を、ばたにつみ重ねて、のに売っていたという事である。がそのであるからのなどは、よりも捨ててる者がなかった。するとその荒れてたのをよい事にして、がむ。とうとうしまいには、引き取り手のないを、この門に持って来て、てていくというさえた。そこで、のが見えなくなると、誰でもを悪がって、その門の近所へはみをしないになってしまったのである。
吾輩は猫である 夏目漱石
はである。名前はまだい。
どこで生まれたかとんとがつかぬ。でもいじめじめした所でニャーニャー泣いていたことだけはしている。はここで初めて人間というものを見た。しかもあとで聞くと、それはというでなであったそうだ。このというのはをらえててうという話である。しかしそのはという考えもなかったからろしいとも思わなかった。ただのにせられてスーと持ち上げられた時だかフワフワした感じがあったばかりである。の上で少し落ち着いての顔を見たのがいわゆる人間というもののめであろう。この時なものだと思った感じが今でも残っている。でされべきはずの顔がつるつるしてまるでだ。そのにもだいぶったがこんなにはもくわしたことがない。のみならず顔のがあまりにしている。そうしてそのの中からぷうぷうとをく。どうもせぼくてにった。が人間の飲むというものである事はようやくこの知った。
伊豆の踊子 川端康成
道がつづらおりになって、いよいよに近づいたと思う、がのを白くめながら、すさまじい早さでから私を追ってきた。
私は、高等学校のをかぶり、の着物にをはき、学生カバンをにかけていた。の旅に出てから四日目のことだった。にり、にり、そしてのでを登ってきたのだった。なり合った山々やや深いの秋にれながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちにの雨が私を打ち始めた。折れ曲がった急な坂道をかけ登った。ようやくの北口のにりいてほっとすると同時に、私はその入り口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がしたからである。そこでのが休んでいたのだ。
っっている私を見たがすぐに自分のをして、しにへ置いた。
「ええ……。」とだけ言って、私はその上にをした。を走ったれときとで、「ありがとう。」という言葉がにひっかかって出なかったのだ。
とに向かい合ったので、私はあわててからを取り出した。踊子がまたれの女の前のを引き寄せて私に近くしてくれた。やっぱり私はっていた。
踊子はくらいに見えた。私にはらないの不思議な形に大きくをっていた。それがのしい顔を非常に小さく見せながらも、美しくしていた。を豊かにしていた、なののような感じであった。
走れメロス 太宰治
メロスはした。必ず、かのの王をかねばならぬとした。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村のである。をき、と遊んでしてきた。けれどもに対しては、にであった。きょうメロスは村を出発し、野をええ、はなれたこのシラクスのにやって来た。メロスには父も、母もいない。もない。十六の、内気な妹としだ。この妹は、村のあるなを、、として迎える事になっていた。もなのである。メロスは、それゆえ、のやらのやらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。まず、そのを買い集め、それから都のをぶらぶら歩いた。メロスにはのがあった。セリヌティウスである。今はこのシラクスので、をしている。その友を、これからねてみるつもりなのだ。久しくわなかったのだから、ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、まちのをしく思った。ひっそりしている。もうすでに日も落ちて、まちの暗いのはあたりまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりではなく、市全体が、やけにしい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路でったいをつかまえて、何かあったのか、二年前にこのに来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちはやかであったはずだが、と質問した。いは首をって答えなかった。
斜陽 太宰治
朝、でスウプを一さじ、すっとってお母さまが、
「あ。」
とかなびをおげになった。
「の?」
スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ。」
お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流しみ、すましてお顔を横に向け、おのの、のにを送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなおのあいだにりませた。ヒラリ、というは、お母さまの、してではない。などに出ているお食事のいただきなどとは、てんでまるで、っていらっしゃる。
よだかの星 宮沢賢治
よだかは、にみにくい鳥です。
顔は、ところどころ、をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。
足は、まるでよぼよぼで、とも歩けません。
ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうというでした。
たとえば、ひばりも、あまり美しい鳥ではありませんが、よだかよりは、ずっと上だと思っていましたので、など、よだかにあうと、さもさもいやそうに、しんねりと目をつぶりながら、首をそっぽへ向けるのでした。もっとちいさなおしゃべりの鳥などは、いつでもよだかのまっこうからをしました。
「ヘン。また出て来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんとうに、鳥ののつらよごしだよ。」
「ね、まあ、あのくちの大きいことさ。きっと、かえるのかかだよ。」
こんなです。おお、よだかでないただのたかならば、こんなはんかのちいさい鳥は、もう名前を聞いただけでも、ぶるぶるふるえて、をえて、からだをちぢめて、ののかげにでもかくれたでしょう。ところがよだかは、ほんとうののでもありませんでした。かえって、よだかは、あの美しいかわせみや、鳥の中ののようなすずめのさんでした。すずめはのをたべ、かわせみはおをべ、よだかはをとって食べるのでした。それによだかは、するどいもするどいくちばしもありませんで
したから、どんなに弱い鳥でも、よだかをこわがるはずはなかったのです
銀河鉄道の夜 宮沢賢治
「ではみなさんは、そういうふうに川だとわれたり、の流れてたあとだとわれたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かごですか。」先生は、黒板にるした大きな黒いの図の、上から下へ白くけぶったのようなところをしながら、みんなにをかけました。
カンパネルラが手をあげました。それから四五人手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。
ところが先生は早くもそれを見つけたのでした。
「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう。」
ジョバンニはいよく立ちあがりましたが、立ってみるともうはっきりとそれを答えることができないのでした。ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。先生がまたいました。
「大きなでをよっく調べると、はでしょう。」
やっぱり星だとジョバンニは思いましたが、もすぐ答えることができませんでした。
先生はしばらく困った様子でしたが、をカンパネルラのへ向けて、
「ではカンパネルラさん。」としました。するとあんなに元気に手をあげたカンパネルラが、やはりもじもじ立ち上がったままやはり答えができませんでした。
先生は意外なようにしばらくじっとカンパネルラを見ていましたが、急いで「では。よし。」といながら、自分でをしました。
学問のすゝめ 福沢諭吉
「天は天の上に人をらず、人の下に人をらず」といえり。されば天より人をずるには、はみな同じにして、生まれながらのなく、のたるととの働きをもって、天地のにあるよろずの物をり、もってのをし、、互いに人のげをなさずして、おのおのにこの世をらしめたまうのなり。
されども今広くこの人間世界をすに、かしこき人有り、かなる人有り、しきもあり、めるもあり、もありて、そのありさまととのあるにたるはぞや。その、はなはだらかなり。『』に、「人ばざればなし、なき者はなり」とあり。さればととの別は、学ぶと学ばざるとによりてるものなり。
アンネの日記 アンネ・フランク 深町眞理子訳
一九四四年二月二十三日、水曜日
外はとてもいいお天気。わたしもきのうからだいぶ立ちなおっています。天からかったわたしのいちばんすばらしい才能であるものを書くこと≠焉Aのところ快調に進んでいます。ほとんど、わたしは屋根裏部屋へき、の中によどんだ空気をきだします。けさもまた行ってみると、ペーターがせっせとおをしていました。あっというまに仕事をすませた彼は、に近いいつものお気に入りの場所にすわりこんだわたしを見て、そばにきました。わたしたちはふたりしてそこから青空と、葉の落ちたのマロニエの木とを見あげました。という枝には、小さなのしずくがきらめき、空を飛ぶカモメやその他の鳥の群れは、ざしを受けてにいています。すべてが生き生きとして、わたしたちの心をさぶり、あまりの感動にふたりともしばらく口をきけません。彼は太いに頭をもたせかけて立ち、わたしはにすわりこんで、そろってな空気をいながら、外にひろがる光景をながめ、そして、どちらもうっかり口をきいて、このひとときのを破ってはならないと感じていました。そのままで長い時間が流れましたが、やがて彼がを切りにゆくときがくると、わたしにもしみじみと彼が、ほんとうにいい人だという実感がいてきました。彼がロフトへの階段をのぼっていったので、わたしもあとを追い、そのあと彼がを切っている十五分ばかりのあいだも、ふたりはとしてのままでした。わたしはすこし離れて彼の仕事を見守り、彼は力のあるところを見せようと、にしています。そのあいだもわたしは、ときどきひらいた窓から外の景色をながめていましたが、そこからは、アムステルダムのがでせます。はるかになる屋根の波、その向こうにのぞく水平線。それはあまりにいブルーなので、ほとんど空と見分けがつかないほどです。
それを見ながら、わたしは考えました。「これがしているうちは、そしてわたしが生きてこれを見られるうちは―――この日光、この晴れた空、これらがあるうちは、けっして不幸にはならないわ」って。れるひと、しいひと、不幸なひと、こういう人たちにとっての最高のは、へ出ることです。どこかひとりきりになれる場所―――大空と、自然と、神様とだけいられる場所へ。そのときはじめてその人は、があるべき姿のままにあり、神様は人間が自然のな美しさのなかで、幸福でいることを願っておいでなのだと感じるでしょうから。
こういう自然が存在するかぎり、そしてそれはに存在するはずなのですが、それがあるかぎり、たとえどんなにあっても、あらゆる悲しみにたいするめをそこに見いだすことができる、そうわたしは思います。自然こそは、あらゆる悩みへのをもたらしてくれるものにほかならないのです。
ああ、ひょっとするとあまり遠くない将来、わたしはこういうな幸福感を、わたしとおなじようにそれを感じてくれるだれかとかちあえるかもしれません。
〈現代詩〉
雨ニモマケズ 宮沢賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
ナカラダヲモチ
ハナク
決シテラズ
イツモシズカニワラッテイル
一日ニト
ト少シノヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンノカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテシテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノノタバヲイ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイフモノニ
ワタシハナリタイ
小諸なる古城のほとり 島崎藤村
なる古城のほとり
雲白く悲しむ
緑なすはこべはえず
若草もくによしなし
しろがねのの
日にけてる
あたたかきはあれど
野につる香も知らず
浅くのみ春はみて
の色に青し
のはいくつか
の道を急ぎぬ
暮れけばも見えず
しの
いざよう波の
き宿にのぼりつ
りれる飲みて
しばしむ
小景異情
その一
はさびしや
そのくろきはなんという
なんというしおらしさぞよ
そとにひるをしたたむる
わがよそよそしさと
かなしさと
ききともなやなしばけり
その二
ふるさとは遠きにありて思うもの
そして悲しくうたうもの
よしや
うらぶれてのとなるとても
帰るところにあるまじや
ひとりのゆうぐれに
ふるさとおもいぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかえらばや
遠きみやこにかえらばや
その三
銀の時計をうしなえる
こころかなしや
ちょろちょろの橋の上
橋にもたれて泣いており
その四
わがのなかより
緑もえいで
なにごとしなけれど
の涙せきあぐる
しずかに土を掘りいでて
ざんげの涙せきあぐる
その五
なににこがれて書くうたぞ
にひらくうめすもも
すもものさ身にあびて
しのやすらかさ
きょうも母じゃに叱られて
すもものしたに身をよせぬ
その六
あんずよ
け
地ぞやにけ
あんずよえよ
ああ あんずよけ
あどけない話 高村光太郎
智恵子は東京に空がないという、
ほんとの空が見たいという。
私は驚いて空を見る。
の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言う。
の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという。
あどけない話である。
サーカス 中原中也
かがありまして
茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
冬は吹きました
幾時代かがありまして
今夜でのり
今夜此処での一殷盛り
サーカス小屋は高い
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭さに手をれて
れの屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白いが
いリボンと息をき
観客様はみな
が鳴りますと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
野外はッ の
はとけまする
のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
〈古文〉
古事記 創世の神々
めてけし時、にれる神の名は、、次に、次に。のの神はとりして、身を隠したまひき。
次にくべるのくして、くらげなすただよえる時、のくえる物にりてれる神の名は、、次に。のの神もとりして、身を隠したまいき。
ののの神は。
古事記 と
につのちて、・の神に、「のただよえる国をりかためなせ」とりて、のをいて、さしいき。、の神のにたして、のをし下ろしてきたまえば、こおろこおろにきして、引き上げたまう時、ののよりりつるなりりて島とりき。れなり。
の島にりして、のをて、をてたまいき。にのにいてりたまわく、「がはかれる」とのりたまえば、えたまわく、「吾が身はりりて成り合わざるり」とこたえたまいき。にりたまわく、「がはりりて成りれるり。、のりれる処をちて、がの成り合わざるにしぎて、をみさんとう。むこと」とのりたまえば、、「けむ」とえたまいき。
富士の山を望む歌
の れし時ゆ さびて 高くき なる 富士のを の りけ見れば 渡る日の 影もらい 照る月の 光も見えず も いきはばかり じくそ 雪は降りける 語りぎ 言いぎかん 富士のは
のゆ うちでて見れば まにそ 富士のに 雪は降りける
竹取物語
いまはむかし、たけとりのというものありけり。野山にまじりて竹をとりつつ、よろずのことにつかいけり。名をば、さぬきのみやつことなんいいける。その竹の中に、もと光る竹なん一すじありける。あやしがりて、寄りて見るに、の光りたり。それを見れば、ばかりなる人、いとうつくしゅうていたり。いうよう、「我朝ごとごとに見る竹の中におわするにて知りぬ。になりたまうべき人なんめり」とて手にうち入れて、家へ持ちてぬ。のにやしなわす。うつくしきこと、かぎりなし。いとおさなければ、に入れてやしなう。
たけとりの、竹を取るに、この子を見つけてに竹取るに、をてて、よごとに、ある竹を見つくることかさなりぬ。かくて、ようようゆたかになりゆく。
この、やしなうほどに、すくすくと大きになりまさる。ばかりになるほどに、よきほどなる人になりぬれば、あげなどとかくしてあげさせ、す。のよりもいださず、いつきやしなう。こののかたちのきよらなることになく、のは暗き所なくちたり。、しく苦しき時も、この子を見れば苦しきこともやみぬ。たしきこともなぐさみけり。
枕草子 清少納言
春はあけぼの。ようようしろくなりゆく山ぎわ、すこしあかりて、紫だちたるのほそくたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり、やみもなおびちがいたる。雨など降るさえおかし。
秋は夕暮。夕日花やかにさして山ぎわいと近くなりたるに、烏のねどころへくとて、三つ四つ二つなど、飛びくさえあわれなり。ましてなどのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとおかし。りてて、風の、虫のなど。
冬はつとめて。雪の降りたるは言うべきにもあらず。などのいと白く、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもてけば、、の火も、白きがちにぬるはわろし。
源氏物語 紫式部
いずれのにか、あまたさぶらいたまいける中に、いとやんごとなきにはあらぬが、すぐれてめきたまうありけり。はじめよりはと思いあがりたまえる、めざましきものにおとしめそねみたまう。おなじほど、それよりのたちは、ましてやすからず、朝夕のにつけても、人の心をのみ動かし、みをうつもりにやありけん、いとあつしくなりゆき、ものげにがちなるを、いよいよあかずあわれなるものにおして、人のそしりをもえらせたまわず、世のにもなりぬべきもてなしなり。なども、あいなく目をめつつ、いとまばゆき人のおぼえなり。にも、かかる事のりにこそ、世も乱れあしかりけれと、ようよう、のにも、あぢきのうもてなやみぐさになりて、のも引きでつべくなりゆくに、いとはしたなきことかれど、かたじけなきばえのたぐいなきをみにてまじらいたまう。
方丈記
ゆくの流れはえずして、しかももとの水にあらず。よどみにかぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、しくとどまりたるためしなし。世の中にあるとと、またかくのごとし。たましきののうちにをべ、をえる高くしき人のいは、をてきせぬものなれど、これをまことかとぬれば、昔ありし家はなり。はけて、れり。或はほろびてとなる。住む人もこれに同じ。もらず、人もかれど、いにしえし人は、がにわずかにひとりふたりなり。に死ににるるならい、ただ水のにぞ似たりける。知らず、れぬる人いずかたよりりて、いずかたへかる。また知らず、のり、がためにか心をまし、何によりてか目をばしむる。そのととをうさま、いわばあさがおのにならず。はちて、れり。残るといえども、朝日にれぬ。或は花しぼみて、なおえず。消えずといえども、を待つなし。
徒然草 兼好法師
つれづれなるままに、日ぐらしにむかいて、心にうつりゆくよしなしを、そこはかとなくきつくれば、あやしゅうこそものぐるおしけれ。
平家物語
の鐘の声、のあり。の花の色、のをあらわす。おごれる人もしからず、春のの夢のごとし。たけき者もにはほろびぬ、に風の前のに同じ。遠くをとぶらえば、の、の、の、の、はのにもしたがわず、楽しみをきわめ、めをも思いいれず、の乱れん事をさとらずして、のうる所を知らざっしかば、久しからずして、じにし者どもなり。近くをうかがうに、の、の、の、の、はおごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくはのと申しし人の有様、えるこそ、心ももばれね。
おくのほそ道 松尾芭蕉
月日はのにして、う年も。の上にをうかべ、馬の口とらえてをむかうるは、にして旅をとす。も多く旅に死せるあり。もいずれの年よりか、の風にさそわれて、の思いやまず。にさすらえ、ののにのをはらいて、やゝ年も、るのにのえんと、そゞろの物につきて心をくるわせ、のまねきにあいて、もの手につかず。もゝひきのをつゞり、のかえて、にすゆるより、の心にかゝりて、るは人にり、のに移るに、
のもるぞひなの家
をのに。
〈漢詩文〉
論語
@く、学びて時にをう、ばしからずや。、よりるあり、楽しからずや。人知らずしてみず、ならずや。
Aく、にして学にす。にして立つ。にしてわず。
にして天命を知る。六十にしてう。にして心の欲する所に従えども、をえず。
荘子
に有り、の名をとす。のいなる、のなるを知らず。して鳥とる。の名をとす。ののなるを知らず。して飛べば、のはの雲のし。の鳥や、ればちににらんとす。とは、なり。は、をす者なり。のにく、のにるや、水のすること三千里、をちてる者、去りてをてうなり。
春暁
を覚えず
を聞く
の声
つること知る
春望
れてり
にしてし
時に感じては花にも涙をぎ
別れをんでは鳥にも心をかす
になり
にる
けばにく
てにえざらんとす
に登る 杜甫
く の
る
にけ
ぶ
く
り
の北
にりてる
李白
の
りみてしむもの無し
をげて名月をえ
影に対して三人と成る
月に飲むをせず
らに我が身にう
く月と影とを伴って
く春にぶべし
我歌えば月し
我えば影す
むる時にし
いてす
す かなるに
雑詩
無く
としてののごとし
し風にいてず
れににず
地に落ちてとる
ぞずしもののみならんや
を得てはに楽しみをすべし
もてをむ
ねてたらず
再びなりし
時に及んでにすべし
は人を待たず