大岩3区暗誦の会テキスト
<本文>
伊豆の踊子 川端康成
道がつづらおりになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、
すさまじい早さで麓から私を追ってきた。
私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白がすりの着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけ
ていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊り、湯ヶ島温泉に二夜泊り、
そして朴歯の高下駄で天城を登ってきたのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に
見惚れながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨が
私を打ち始めた。折れ曲がった急な坂道をかけ登った。ようやく峠の北口の茶屋に辿り着いてほっとする
と同時に、私はその入り口で立ちすくんでしまった。あまりに期待が的中したからである。そこで旅芸人の
一行が休んでいたのだ。
突っ立っている私を見た踊子がすぐに自分の座布団を外して、裏返しに傍へ置いた。
「ええ……。」とだけ言って、私はその上に腰を下した。坂道を走った息切れと驚きとで、
「ありがとう。」という言葉が咽にひっかかって出なかったのだ。
<よみかた>
いずのおどりこ かわばたやすなり
いずのおどりこ かわばたやすなり
みちがつづらおりになって、いよいよあまぎとうげにちかづいたとおもうころ、あまあしがすぎのみつりんをしろくそめながらそめながら、
すさまじいはやさでふもとからわたしをおってきた。
わたしははたち、こうとうがっこうのせいぼうをかぶり、こんがすりのきものにはかまをはき、がくせいカバンをかたにかけ
ていた。ひとりいずのたびにでてからよっかめのことだった。しゅぜんじおんせんにいちやとまり、ゆがしまおんせんににやとまり、
そしてほうばのかたげたであまぎをのぼってきたのだった。かさなりあったやまやまやげんせいりにゃふかいけいこくのあきに
みとれながらも、わたしはひとつのきたいにむねをときめかしてみちをいそいでいるのだった。そのうちにおおつぶのあめが
わたしをうちはじめた。おれまがったきゅうなさかみちをかけのぼった。ようやくとうげのきたぐちのちゃやにたどりついてほっとする
とどうじに、わたしはそのいりぐちでたちすくんでしまった。あまりにきたいがてきちゅうしたからである。そこでたびげいにんの
いっこうがやすんでいたのだ。
つったっているわたしをみたおどりこがすぐにじぶんのざぶとんを
「ええ……。」とだけいって、わたしはそのうえにこしをおろした。さかみちをはしったいきぎれとおどろきとで、
「ありがとう。」ということばがのどにひっかかってでなかったのだ。
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